現代に甦った大麻の糸績みが 時を繋ぎ、技を繋ぎ、心と心をつなぐ。
糸作りは時間がかかり、皆で楽しく集まって績む時間の他は、自宅で延々と一人で糸を績み続けます。糸績みが好きな人にとってそれは静かで平和な時間でもあるのですが、糸をたくさん作って・・そしてその後は・・・?
織物の経験がある人以外は、その先の答えが今ひとつ見えてきませんでした。
そんな時、「各自が績んだ糸を持ち寄って、ひとつの作品を皆で創りあげよう!」という一人のよりひめの思いつきから始まったその趣旨が、非常に多くの受講生さんに受け入れられたのでした。
「皆さんでひとつの作品をつくりませんか?」 そんなプロジェクトがスタートし、賛同者はまたたく間に100名を超えます。
「では、どんな作品がいいか?」
「服は難しいが、帯ならできるかも知れない・・・。」
こうして、100人を超えるよりひめ含む賛同者達が結集して大麻糸を績み、帯を作る「大麻の百人帯プロジェクト」が動き始めました。
「宮城県山元町の自宅で機織り工房を開く志小田さんが保管していた糸が、約70〜100年ほど前に大麻から作られたものと判明した。大麻は、戦前まで衣服や魚網などの材料として広く普及したが、生活様式の変化などで廃れた。専門家からは「当時の生活を知る貴重な資料」と驚きの声が出ている。」
「なんの糸だろうか?」分からないまま忘れ去られ、ずっと宮城県沿岸部の町・山元町の蔵に眠っていた直径20センチほどの円盤状にまとめられた幾つもの糸のかたまり。
山元町で織物を教えている志小田恵子さんは、親戚から相談を受け、その糸のかたまりを譲り受けました。
それから10年後、山元町を巨大な津波が襲います。
東日本大震災は、糸が保管されていた蔵をも飲み込んでいきました。
高台に住んでいて、災害を免れた志小田さんは、「私たちだけが助かって申し訳ない。はた織りが周りの人の癒しになれば・・・」と、自宅で機織り工房を始めます。
この工房を訪ねた一人の“よりひめ”が、この糸のかたまりのことを聞き、大麻博物館の高安館長にその糸を見てもらったところ・・大麻製であることが判明します。
ただ、相当古いものなので、一部切れたり、絡まったり、とても機織りにかけられる状態ではなく。だったら、この糸を皆で修復し、志小田さんに届けようと、“よりひめ”仲間が結集します。
何度かの修復は、糸産み講座が開かれるナチュラルセラピーSHOP アンジェリで行われ、そして最後の作業は、その糸の眠っていた蔵があった場所で行おう、ということになりました。
夏至の日に各地の“よりひめ”が宮城県亘理郡山元町に向かいます。
「ここに山元の街並みがあったんですよ。」
志小田さんが話す先の風景は、一面に草が生い茂っている原野。
そこに唯一残る津波の跡が痛々しい小学校に時折風まじりに波の音が聞こえてきます。
風渡る草原の蔵があったであろう場所に急きょ祭壇が祀られ、よりひめでもある女性の神官が祝詞をあげてから、集まったよりひめ達が草むらの上にむしろを敷いて糸績みが始まりました。
大麻の糸の取り持つ不思議な縁によって集まりつながった女性たちの手によって、績まれ紡がれてゆく新たな糸。風はいつしか止み、やがて曇り空から柔らかな陽が差し込んできました。そこには、糸と心がつなぐ悠久の時が現出したかの様でした。
よりひめたちがつないだ糸は、志小田さんの元に無償で届けられました。
「皆さんの思いがうれしい。わが家の歴史がつながった気がする」と感謝する彼女。
そして、志小田さんがその糸で織るスカーフや手ぬぐいは、また多くの人を喜ばせることでしょう。